『私とCINEMA』と題をとった訳だが、 ただ単にTOPページのflash作製時に適当に『私とCINEMA』と入れたので仕方なく『私とCINEMA』について述べたいと思います

以前と言っても10年ぐらい前だが私は趣味は?と聞かれたら適当に映画鑑賞と言っていた、確かにその頃はゴダ−ルやらパトリスルコントやらピーターグリーンナウェイやらのヨーロッパ映画に興味を持ち、その発展的にマイケルナイマン、サイモンターナーといったサウンドミュージックへ流れコックと泥棒のゴルチェ、エドワードセカンドのキャサリンハムネット、キカのゴルチェアルマーニのモードを再確認するという当時はシネマを中心としたトライアングルを形成していた

そのようなヨーロッパ映画を見るには近所のレンタルではミーハーなTVでいつかは放映するであろう同じような映画しかなく、TV深夜映画を細かくチェック入れる、上本町ハイハイタウンの南隣の映画館、扇町の映画館、阪急南通り手前を左折の映画館とかをピアでチェックするしかなかった
つらい思いしていた所、ツタヤの心斎橋店(現在のシャネル)に初めて入った時の衝撃を今でも忘れない、デレクジャーマンやらフェリーニやらアルハアルハ!!!あれもあるのか!これもかよ!なんなんだよこれは!
と言いながら何を借りたのか記憶が曖昧なのだが、確か「死刑台のエレベーター」がその中の1つにあるような気がするのだが、御存じのとおりルイマル監督がこれで有名になりマイルスデービスもこの作品で有名になったと記憶している。10年前ぐらいに死んじゃったけど、名前が出てこないんだが、テニスプレイヤーと結婚して離婚して青い珊瑚礁に出演していた当時はめちゃくちゃ有名だった女優が初期の頃、娼婦の所少女が妊娠する映画に出演していた映画の頃より、ほぼハリウッドに拠点をおいたんだが、確か最後の作品になると思うが「ダメージ」では本気でアカデミー賞をねらったとか、とれなかったけど、ジュリエットビノッシュが良かったです、それがその時代だったと記憶しています

と言いながらなぜかルイマル監督に思い出があるかと言うと、そんなにない「どうでもいい」というぐらいかもしれない、その「どうでもいい」はトウカイテイオーが復活した大阪杯の3コーナーで杉本清アナがTVカメラが一瞬テイオーからはずれ時「他の馬はどうでもいい」と言った「どうでもいい」に近いのだが、60年初期よりのフランスヌーベルヴァ−グ時代とほぼ同時期の世代だが、ヴァ−グというより前時代の監督に見えてしまうところが「どうでもいい」とでも言うことなのか?

その「どうでもいい」ルイマル監督と対する「どうでもいいわけじゃない」存在がゴダ−ルである
軽い気持ちで書き始めた訳だが書いてるうちにチカラが入ってきました、1ページが長くなるの嫌いだがら続きは次のページに書きます
文章考える前にFLASHが先に出来上がっていって、なかなか追いつけないです

最初に書いた「10年ぐらい前だが私は趣味は?と聞かれたら適当に映画鑑賞と言っていた」とは今は全然映画は趣味ではなく、その「趣味が映画」に対し否定的なものが自分の中にあることが自分にキーボードを打たせているのでは?と思うのだが、おそらくそういう話に流れていくと思います


上の淡い赤は桃です。誰がなんと言おうと桃です
その桃におじいさんが乗ってころげます、そして桃太郎がまもなく誕生します
2つめのはおばあさんが青い太陽で日光浴です